経済学研究科・経済学部について
沿革と理念

沿革

経済学部の歴史は1948年9月に創設された法文学部に始まります。 1949年5月、新制大学の発足とともに、法文学部は文学部と法経学部とに分かれ、1953年8月には、この法経学部が法学部と経済学部とに分離されました。分離・独立後、学部学生定員も年々増加し、分離・独立時点での80名から、 1999年4月現在では、経済・経営学科220名にのぼっています。この定員以外に、1996年度からは第3年次編入学定員10名が加わっています。

大学院経済学研究科は、1953年4月、経済政策専攻として発足し、1969年4月に経済学専攻と経営学専攻とに改組されました。その後、1976年、大学院独立専攻として公共経済学専攻が設置されました。1994年度からは、経済学と法学・政治学の学際的分野における高度専門的職業人を養成することを狙いとして、法学部・旧教養部・社会経済研究所と協力して、独立研究科・大学院国際公共政策研究科が設置され、これに伴い、公共経済学専攻は発展的に解消されました。

さらに、研究者を育成するという従来の目的に加え、経済学と経営学の学際的分野における高度専門的職業人を養成するために、1996年度に経済学研究科は経済理論専攻、日本経済・経営専攻、経営学専攻の3専攻に改組・拡充され、1997年度および1998年度には、それまで経済学部の所属であった教員がすべて大学院経済学研究科に移籍されました(大学院重点化と呼ばれています)。

なお、1954年4月に本学部附属の研究施設として発足した社会経済研究施設は、1966年4月、社会経済研究所として独立しましたが、その後も経済学研究科の協力講座として、経済学研究科・経済学部と緊密な教育・研究上の関係を保っています。

関連サイト
社会経済研究所 独立研究科・大学院国際公共政策研究科

理念

大阪大学のルーツは、江戸時代中期の漢学塾「懐徳堂」と江戸時代末期の緒方洪庵の蘭学塾「適塾」にさかのぼります。両塾とも、大阪町人社会に支えられ、大阪の格式張らないプラグマティズムと国際的な視野に基づく革新性を反映していました。それらは経済学部でも基本理念として今日まで受け継がれています。

大阪大学大学院経済学研究科・経済学部は経済学・経営学の分野における世界最先端の教育・研究機関として多大な実績を挙げてきました。経済学の分野では、創設当時、「マルクス経済学」が支配的な位置を占めていたわが国経済学界の潮流に抗して、世界における正統派の経済学である「近代経済学」を研究の中心に据える基本方針をいち早く鮮明にし、その後もこの方針を堅持した結果、創設後いくばくもなく、「近経のメッカ」と呼ばれるようになり、近代経済学の発展をリードする世界的な研究機関としての名声を確立しました。経営学の分野では、現代マネジメント・サイエンスを時代に先駆けて導入し、その後も一貫して高度に分析的・数理的な研究手法を開拓し続け、この面でユニークな経営学の学風を培ってきました。さらに歴史的研究の領域においては、根本史料の発掘とその科学的分析を重視する実証史学、数量経済史の立場に立つ幾多の斬新な業績を挙げてきました。

国際性という観点から見ると、多くの教員が研究者としての若い時期に外国での教育・研究を身をもって体験していること、外国人教員の正規任用を積極的にすすめてきたこと、

外国の研究者を客員研究員として積極的に受け入れていること、国際研究コンファレンス・研究会の主催および海外でのそれらへの教員の派遣を活発に行っていること、学生に対し留学機会を多数提供していること、多くの留学生を受け入れてきたこと、外国語での授業を開講していることなど、多数の特色が挙げられます。

正式に国際交流協定を締結している相手校は、現在のところ、アメリカ2校、カナダ1校、台湾3校、フランス2校、英国1校、ドイツ1校です。また、こうした国際化に対処するため、1994年度には留学生相談室を開設しました。2016年10月において、経済学研究科・経済学部における外国人留学生の数は173名にのぼっています。

経済学・経営学は人類の福祉向上にとって欠くことのできない学問ですが、近年における経済活動のグローバル化、社会主義世界の崩壊、EUに代表されるリージョナリズムの台頭、地球環境の変質、高齢化社会の接近、情報化社会の到来などの諸現象は、この学問に解決すべき多くの新たな課題を突きつけています。

旧社会主義諸国における市場経済への移行に際して生ずる諸問題の解決、資本主義諸国間に見られる固有の市場機構の解明、戦後著しい成長を遂げたわが国企業の経営戦略と組織のあり方への指針、モデルなき不透明な時代における実証的経済史学からの教訓と示唆の抽出など、経済学・経営学への期待はますます高まっています。

国際的視野にたってつねに学問の最先端を切り開きつつ、時代の変化に即応して現実の問題に果敢に取り組むという本学部の伝統と方向は、これまでにも増して、わが国のみならず広く世界から必要とされ、また期待されるものです。経済学部に集う教員・研究者は世界で通用する経済学・経営学をもって、古今の経済社会を研究し、わが国のみならず地球経済が直面する緊急の課題に、その成果を活かしたいと念願しています。

Tradition of Excellence

大阪大学大学院経済学研究科は、50人近くの教員によって運営される、経済学・経営学の分野におけるわが国最強の大学院で、世界の第一線で活躍する経済・経営学者が一堂に揃っています。

1931年に大阪帝国大学として設立された本学に、経済学系教育・研究組織が設置されたのは1948年のことでした(法文学部経済学科として設置、 1953年に経済学部として独立)。設置当初から、学閥にとらわれることなく、それぞれの分野における全国的に著名な研究者を物色して来任を懇請し、世界の主要大学と比べて少しも遜色のないスタッフを揃えるとともに、優れた素質をもち将来の大成が約束されているような新進の研究者を広く求めることが、人事の基本方針とされました。この人事方針はその後も一貫して踏襲され、日本をリードする教育・研究機関としての評価を確固たるものとしました。後に紹介するように、現在でも、徹底した業績主義を採ることによって、これ以上望めないほどの強力な教授陣を誇っています。

本研究科は常に時代を先取りしてきました。戦後の混乱した時代に正統的な経済理論を構築することの必要を痛感した諸先輩は、経済学部が独立した翌年(1954年)に、学部附属の研究施設として社会経済研究室を設立しました。これは1966年に現在の社会経済研究所として改組拡充されましたが、研究と大学院教育に重点を置く研究機関として今まで輝かしい業績を内外に誇ってきました。社会経済研究所とはそれぞれの持ち味を発揮しつつ、共同で本研究科を運営しています。また、1994年には、従来の狭い研究分野にとらわれず、法学や政治学との学際的分野の研究・教育を開拓する目的を持って、国際公共政策研究科が独立大学院として設置されました。本研究科の学生は、国際公共政策研究科において10単位まで修得することが可能です。

本研究科が享受する名声は、現在の教授陣ならびに大学院生が堅守していくべきものですが、過去の先輩諸氏の学問的業績と貢献に負うところも多分にあります。本研究科で教え、研究し、学んだ先輩諸氏には数多くの世界的学者がその名を連ねています。

森嶋通夫(文化勲章受章者、Econometric Society 会長およびフェロー)
安井琢磨(文化勲章受章者、理論・計量経済学会会長)
高田保馬(文化功労者)
宮本又次
(日本学士院会員、日本学士院賞恩賜賞受賞、文化功労者、経営史学会会長)
熊谷尚夫(日本学士院会員、日本経済学会会長)
二階堂副包(Econometric Societyフェロー、日本経済学会会長)
畠中道雄(Econometric Societyフェロー、日本経済学会会長)
稲田献一(Econometric Societyフェロー、日本経済学会会長)
建元正弘(日本経済学会会長)
新開陽一(文化功労者、日本経済学会会長)
森口親司(Econometric Societyフェロー、日本経済学会会長)
など枚挙にいとまがありません。

教授陣が常に外に目を向け、海外の研究者、研究機関との交流を積極的におこなってきたことにより、本研究科は海外においても高い評価を受けています。本研究科においては、多くの教員が頻繁に海外の大学に招聘されたり、海外の学会で研究報告をおこなっているだけでなく、海外の優秀な研究者の訪問を積極的に受け入れてきました。これまでに本研究科を訪問した研究者には、ロビンソン(J. Robinson)、ハンセン(A. H. Hansen)、マハループ(F. Machlup)、クライン(L. R. Klein)、ハロッド(R. F. Harrod)、フリードマン(M. Friedman)、ヒックス(J. R. Hicks)、セン(A. Sen)など、4人のノーベル賞受賞者を含む歴史に残る著名な経済学者が名を連ねています。この輝かしいTradition of Excellenceは、現在もなお、優秀な教授陣、大学院生に引き継がれているのです。